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日本ショパン協会賞決定 [日本ショパン協会]

日本ショパン協会の「昨年度に一番すぐれたショパンを演奏した若手の演奏家に贈られる「日本ショパン協会賞」が一昨日の理事会で決定したのでお知らせします。選考基準の大まかな内容は:

(1)若手の演奏家であること(特に厳密に年齢が決まっているわけではない)
(2)日本人のピアニストであること
(3)ショパンのプログラムが演奏内容の重要な位置を占めていること(例えばいくらすぐれた演奏でもバラード一曲、などでは対象にならず、ショパンの演奏家として多方面の評価に耐えるだけの分量と内容があること)
(4)基本的に国内で演奏されたものに限る

等で、実際の演奏を聴かれた理事、もしくは協会指定の音楽評論家の推薦があること、などであるが、これだけではすべてを網羅できないので、第三者であっても日本ショパン協会の理事等を通じて推薦されたものも選考の対象となることもある。最終的に担当理事に提出された録音物等を聴いて理事会の論議を経て決まる。

今年は実川實、中桐望、外山啓介、坂田知樹、魚谷絵奈の5名が最終的にノミネートされ、理事会の慎重な審議を経て、昨年オールショパンプログラムでリサイタルを開催した中桐望さんに決定した。

中桐望さんはワルツOp.64、バラード3番、24の前奏曲、コンチェルト第二番(室内楽版)というプログラムで抜群の演奏を披露した、ということで、最終的にどの理事からも異論は出なかった。珍しいことである。ここ2年、該当者なし、の年が続いたので、今年も該当者なし、となったら困るなあ、と事務局長がやきもきしていた。たいてい、カンカンガクガクの議論が出てなかなか決まらないのが通例だが、今年はほぼ全員意義なしで決定したことは誠に喜ばしい。

省庁の移転だけでなく皇居も [音楽全般]

宮田東京芸術大学学長が文化庁長官に就任する、というニュースはすでに知られている。芸術に携わるものとしては大変いいことだと思っているが、意外と知られていないのが、これも政府の省庁移転の試みの一つであるということ。東京に政府の省庁すべてが集中しているのを、地方に分散し、東京一極化を軽減しようというものである。

とりあえずは消費者庁が徳島に「一部」移転が決まったようである。IT時代、なにも東京にいなくともTVで会議はできるから、なるべく省庁を分散させて地方の活性化を図ろう、ということらしい。これに続くのが、文化庁で、候補地は京都である。どこに移転するかは、是非うちに、というふうに、希望を地方の自治体が手を上げさせるという方式で、文化庁が京都に一部ではあっても移転が実現するかもしれない。これは私感であるが、宮田先生の性格からすれば結構乗るかも、という予想である。

ただ、である。この程度ではかなり及び腰の試みでいかにも思い切りが悪い 。いっそのこと、皇居も京都に移転してはどうか。もともと、京都に御所があったのを、明治政府ができたゴタゴタに紛れ、天皇を一時東京にお越しいただく、ということであったのが,(誤魔化してそうなったかどうかはともかく)いつの間にやらそのまま現代に至って定着していると聞く。もしそれが本当ならば、本来のお住まいであるはずの京都に御帰還いただく,というのはどうだろう。政府が本気で省庁移転を考えるならそのくらいにことをしないと実効はのぞめないのではないか。

ブログの威力 [政治]

一人の主婦が書いたブログが国会で大問題になる、というほどの威力を発揮するのはすごいことだと思った。本音をそのままぶつけ、それが多くの人々の共感を呼んだからであろう。保育園落ちたのは私だ!と多くの人が名乗りを上げた。ブログの発信者が特定され、嫌がらせを受けないことを祈るばかりである。

世論はゴマメの歯ぎしりに似て、政治権力に対して一見無力のようにみえるがじわじわと効いている、と感じたのは原発問題である。高浜原発の仮処分、つまりすぐに原発の運転を止めよ、という司法判断だが,賛成派反対派を問わずこれには驚いたであろう。世間的にはどうせ日本の司法判断など政府寄り,とみんなが思っていたからである。判決の一番のみどころは社会に対して,なぜ原発が安全になったかを納得させていないというのが最大理由だそうで、これが今後の原発訴訟の行方にかなりの影響を及ぼすであろう。

原発再開論者の側に立つと、自分たちの思うような原発再開にはますます困難が伴う、と見えたであろう。ものごとに100%の確実はないのは原発事故で学んだとおり。それでもなおかつ、社会を納得させて原発を再開するには、途方もないコストと説明責任が避けて通れない、という認識がプレッシャーとなり、ブレーキの役を果たしているのはとてもいいことだと思っている。アメリカはすでに原発はコストが合わないから撤退傾向にある、と聞く。核のゴミ処理の問題は最終的に壁となって立ちはだかる。今、原油が安くなり、円高傾向だから、この際いっぱいオイルを買いだめておく、というアイデアはどう? でもここでも環境問題が立ちはだかる。やはり時間はかかるが再生可能エネルギーを利用する方向に行くのが地球を長持ちさせる最善の方向ではなかろうか。

日本の自動車輸出攻勢に音を上げたアメリカが、当時の常識では絶対実現しそうもない高いハードルを課したが、日本はものの見事にクリアしてしまった例もある。不可能ということはあるまい。政府のやる気の次第で流れは変わる。小泉さんにももう少し頑張ってもらいたい。

ブログのトラブル(2) [プライベート]

専門用語がわからないから、急にURLを変更してください、と言われてあたふたしたようである。やっとURLなるものがどういうものかわかった気がするが、これは何の言葉の略号でどういう意味かが充分わからないとそこで私は挫折してしまう。昔からそうだった。数学の代数でxとかyとかaとかbとか、なぜその文字でなければならないか、dとかeではなぜダメなのか、先生はちゃんと説明してくれないものだから、そこで数学は挫折してしまい、一生数学、化学嫌いになったのだ。

反面教師として学んだことは、専門分野に関して「基礎的なことを、分かり切ってると思っても、時間をかけて徹底的に教え込むこと」。自分が教える立場になってよく考えて見ると、自分でも実はよくわかっていない、ということは結構多い。ピアノ音楽に関して言えば、なぜこの音にアクセントが来なければならないか、という説明も、ただ楽譜にそう書いてあるから、では説明したことにならない。この場合、生徒は数学と違ってそこで挫折はしないが、音楽とは実に面白いもの、という認識をもたないで通り過ぎてしまう。ピアノ弾きのピアノ嫌いを生み出すもとは、私の数学嫌いになった過程と変わらない。深い問題がアクセント一つにも含まれていることを教師自身も深く知っていなければ生徒には伝わらない。

ともあれ、息子と妻の協力でブログ再開にこぎつけることはできた。ただURL(何の略語でどう意味なんでしょうか)の変更があったことをklaviermusik koba時代にきちんと書き置くことができなかったので多くの方にご不便をおかけした。ブログは私の性にあっているみたいで、誰かに読まれようが、読まれなかろうが、自分の思いを綴る、というのは長年の習性となった。ツイッターのように短くてはいいたいことは言えないから、見開き1ページ、という長さがちょうどいい。

ネットによれば URL: Uniform Resource Locationの略語( 統一資源位置指定子:日本語の方がもっとわからん なんのこっちゃ?)

ブログのトラブル [プライベート]

どういうわけか、URLが変わってしまって、外からアクセスできない状態になりました。修復に少々時間がかかりそうです。申しわけありません。

どうやら知らないうちにURLが変わってしまったみたいです。

http://rheingold.blog.so-net.ne.jp

これでアクセスできると思うのですが。。。ご覧いただいた方、何らかのレスお願いできるでしょうか。

救急医療、自分でどう対処できるか [プライベート]

心筋梗塞や脳梗塞など、急な病人が出たら救急車が来るまで自分でなにができるか、という講習会が、近くの区役所の出張所で開かれたので妻共々参加してきた。まあこの年だから、自分になにができるか、よりも人にやってもらう可能性の方がはるかに高い。それでもなお、行ってみる気になったのは、最近、身内でも心筋梗塞で倒れた、心臓の具合が少し、という例が起こるようになったので,人ごとでなくなって来たのである。

内容は人が突然倒れた時の、観察のポイント、素人でもとっさの対処の仕方によっては、助かる確率がかなり高い。どうすればいいか、なにも知らないとただうろたえるだけだが、どういう手順で、救急車を呼び、その間に心肺蘇生に素人でもある程度、かかわれることがわかったのは収穫であった。人工呼吸の仕方、心肺蘇生術、最近どこにでも設置されるようになったAED(心臓に電気ショックを与えて元の機能に戻す装置、1500Vの電圧を瞬間的に人体に流す、これは電車並の電圧をかけることだから考え方によってはずいぶん怖い)の使い方はまず、一般の人はほとんど誰も知らないのではないか。これでは宝の持ち腐れである。ただこの機械が万能でないことも確かで、人間の手による心肺の蘇生術とあいまって、その役割の一端を果たすに過ぎない。

目からウロコだったのは、一般によくTVなどでも見る、心臓を押してマッサージするのは、心臓のためもあるが、瞬時を争うのは脳死にならないためらしい。心臓はしばらく動かなくても蘇生するが、脳に血流がいかなくなると、その瞬間から脳死がはじまる。それを防ぐため人工的に血流を脳に送り込むのがその第一義的作業であるのだ。

4時間にわたる講習と訓練の後にテストがあり、これに合格すると2級の証明書がもらえる。だいぶんわかった気になったのだが、問題はうちで実習、つまりさらって見ることができない、という点にある。健康な人には絶対にやって見ないでください、ときつく言い渡された。これでは一週間もすれば忘れてしまうではないか。それでもなおかつ、全くなにも知らないよりはマシかもね、と疲れたので終わってから近くの店でコーヒーを飲みながら語り合った次第。


ブゾーニのオペラ「アルレッキーノ」 [音楽全般]

フェルッチョ・ブゾーニといえば、ピアニストはまず幾つかのバッハのピアノ編曲をイメージするであろう。そして、次に19世紀から20世紀初頭にかけての歴史的な大ピアニスト。まあそんなところではなかろうか。そこから先、彼のピアノのオリジナル作品を知っている人は稀であろうし、さらに彼がオペラを書いた、ということはもっと知られていないであろう。

私の、かつて芸大時代の生徒であった、松川儒君が彼の勤め先である玉川学園のイベントのなかでブゾーニの「アルレッキーノ」を指揮するから見に来て欲しい、という招待を受け取った。普通のピアノリサイタルよりはこれは面白そう、と妻を誘って行くことにした。

実はブゾーニのピアノ作品は、当時として非常に演奏が難しく、かつ内容急進的で難解なのでいまもほとんど演奏されない。ことオペラ、となるとどんなものなのか興味をそそられたのである。玉川学園は演劇系が有名で、演出家も役者も揃っていて、ブゾーニの音楽もそう難解ではなく、楽しめた。ブゾーニはイタリアオペラが大嫌いで、自分でオペラを作ってしまったのだ。

私の教え子たち、特に男の子たちは卒業してからほぼ全員なにかしらモノになっている。彼もその一人で、私もオペラの指揮なら面白そうだからやって見たい、とかねがね思っていたがこの希望は果たせなかったが、生徒がそれを実現した。それも誰でもやる通常のオペラではなく、こんなほとんど知られていないものに挑戦したことがすばらしい。松川君によればこれは演奏がすごく難しいのだそうだ。まあそれは想像がつく。だが内容は女たらしのドタバタ劇でブゾーニの謹厳なイメージ、それもイタリアオペラ嫌いの人の作品とは想像しにくい。

ピアニストから、生徒にいいピアニストやピアノの教師教育の結果生ま れるのは別に珍しくもなんともない。当たり前だからだ。私の教え方がどこまで影響したのか、しなかったのかは検証のしようがないが、ともかくこういう異色のユニークな人たちが育っているのは喜ばしいことと思っている。

東宮御所2016 [プライベート]

しばらく皇太子殿下のお誕生日の日に拝謁に所用が重なって伺えない年が続いた。東宮御所,何年ぶりかである。東京の街はしばらく行かないとすっかり様変わりしてしまうが,ここだけは50年以上,私の知る限り変わっていない。殿下も56才になられた。浩宮様の時代,つまり中学生の時代からであるから,ずいぶん年月が経ってしまったのを実感する。殿下はいつもとお変わりないご様子である。学習院関係の方々が大部分を占めるみたいで、旧知の音楽関係者は年とともに亡くなられたりしてすっかり寂しくなった。

来賓出席者の人数は数えたことはないが、いつも関係者は7,80人くらいであろうか。会見の時間は40分くらいなので全員がゆっくり話ができる状態ではない。式次第は特に決まりはなく、通例、誰かが代表で殿下にお祝いの言葉を述べ、そのあと乾杯、時間の許す限り歓談される、というごく簡素なもの。私はとりあえず、アリバイ作り(?)だけで自分からしゃしゃりでることもしないので、直接ご挨拶をする時間を逃してしまうこともあるし、まあそれでもいいと思っている。今日は殿下にビオラをご進講しているUさん、彼も鉄道マニアなのであるが、模型鉄道の話につい夢中になっているうち、会見時間終了となった。殿下が退席される際、ちょうど私のそばを通られるのをうっかりしていたら、「ーー先生、今日はありがとうございます」と逆に後ろから声をかけられ、慌てて「あ、殿下、お誕生日おめでとうございます」と申し上げるのがやっとであった。なんともサマにならない一幕。

こんな場面ではやはり鉄道談義などにうつつを抜かしていてはいけないのだ。わたしはいつもこういう改まった席でなにかヘマをやらかしてしまう悪いくせがある。

南西諸島のお土産 [旅行]

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私はだいたい旅行のお土産はまず買わない。でも今回は違った。竹富島海岸で拾った石。といってもこれは竹富島の海岸に打ち上げられた珊瑚礁のちいさいかたまり。こんなものが美しい島に無数に打ち上げられている。適当なものをいくつか拾って持ち帰った。綺麗に洗えば箸置きに適当なグッズになる。一つ一つが違った面白い形をしており、これ以上のお土産はない。金を払わなくてもいいお土産はいくらでも見つかる。

美しい貝を細工してペンダントにしたもの、これは妻がお土産に買った。南の島には惚れ惚れするような美しい貝殻が無数にあり、昔は貴重品で、貝殻の美しい装飾品の多くが山口県の西海岸の弥生遺跡で見つかるそうである。ゴホウウラ、イモガイなど山口県沖では採れないもので、その故郷をたどると沖縄にゆきつく。これは、山口と南西諸島や沖縄と密接な交易があったことを物語る。立派な船や飛行機もなかった時代のこと。いったいいく日かかり、どれだけ多くの人が海難事故を物ともせず往き来をしていたのだろうか。

「名も知らぬ 遠き島より流れよる ヤシの実ひとつ」


南西諸島のツアー(4) [旅行]

最終日

午前中、残りの3島、伊良部島、下地島、車間島の3島をバスでめぐる。下地島には、島全長より長いと思われる3000メートル級の滑走路があるが、今は使われていない。もったいない話だが、3000メートルといえば優に大型旅客機が発着できる長さであり、ちなみに羽田空港のA滑走路がこれに匹敵する。これができた時はまだ宮古島と橋でつながっていなかったので、連絡船が必要であったが、連絡船だと宮古島の中心部まで30分くらいはかかりそうな距離。宮古島に立派な空港が出来たため文字通りの無用の長物となった。なぜ国はこんな金の無駄遣いをするのか気が知れない。

そういえば、現在辺野古移転で問題になっている米軍基地をここ下地島に移転させたら、というアイデアも一時出たが沙汰止みになった。なんと言っても下地島、それに隣の伊良部島を含めても基地にするにはどう見てもあまりに狭く、不向きである。今は民間航空機パイロット養成のためのタッチアンドゴーの訓練がたまに行われる程度、という。

午後遅い便で、那覇経由で19時羽田着。
今度のツアーのメンバーはだいたいが70、80代の夫婦連れで、みな温厚ないい人たちばかり。それぞれ豊かな人生を過ごしてきた方たちなのであろう、とお見受けした。お互い余計な会話はしないが必要に応じてとる会話、物腰、それは好意が十分伝わるもので、こういうツアーなら少々値段は張るが悪くない、というのが全体通じての感想。

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