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ある昼食 [洗足学園]

大学院の修了試験に立ち会って採点を終わり、遅い昼食を取ろうと大学の先生用のレストランにいく。授業ももう終わっているし、もうやっていないのではないかと思ったが、入ってみるといつもと少し様子が違う。メニューは一つだけ、それも七草粥で、先生には無料で振舞われることになっている。

ま、いいか、とふとみると指揮者の秋山さんをはじめ、「鉄」マニアが何人か七草粥を囲んでいる。当然、私も割ってはいる。おかゆを食うだけなら、ものの10分もあれば終わってしまうが、話は盛り上がった。秋山さんのヴェネチアからロンドンまでICWLのノスタルジック・オリエント・エクスプレスに乗ったよ、から始まり、いや、自分は最盛期のラインゴルトの展望車に乗った、という羨ましい話題がいっぱい。なにしろ年代が私と同じかそれよりいくらか若い、くらいで世界のあちこち旅している人たちだから、どの話題もよく内容が合うのだ。

話題はラインゴルトのドームカーの話になったが、彼によれば、あれは一度はいいが、二度乗るものではない、という。カーテンもないし、日差しを遮るものがないから、暑くてたまらない。ドイツ人からこんなところに乗る物好きはアメリカ人と日本人しかいない、と笑われた、という。なるほどそう言われれば、ドイツの夏も相当暑いからドームカーもカーテンなしでは温室のようなものだからそれは暑かろう。現代であれば視界を遮らないで、日差しを防ぐスモークガラスや薄い素材のカーテンを使ってもう少しは快適に過ごせるかもしれない。ちなみに彼が乗ったのはハンブルクからミュンヘンまで、と言ったが、はて、ラインゴルトにそんなルートを走ったことがあったっけ、と疑問も残ったが深追いはしないことにした。

かくて、おかゆいっぱい食べるのに一時間半かかった、というわけである。

シルバーマウンテン(2) [洗足学園]

いろいろ始めてだらけのコンサートだったが、洗足学園音楽大学のシルバーマウンテン、ここは本来大編成のオーケストラなどのリハーサル室として設計されたものらしい。ピアノには音がデッドで弾きにくい、という一部からの前評判も耳に入っていたが、実際やってみると、私には、ピアノのどの音もクリアに聞こえ、簡素なホールの雰囲気とあいまって、コンサート会場としてもやりようによって十分使用に耐える、というより、固定したステージがない分、いわゆるこれまで一般的に「コンサートホールとはこんなもの」という概念を打ち破る新しい企画もできるのではないか、という感を持った。

演奏家はホールの雰囲気にマッチした音づくりをする努力も必要なのである。当然ピアノの音の出し方もそれに合わせなければならない。私自身は、といえばバッハの「フーガの技法」を演奏していて特段の違和感は持たなかった。定員はせいぜい160人どまり、と聞かされていたので、一部切符を制限せざるを得なかったが、ピアノコンサートの場合、実際は180の席を設けてもまだ余裕があり、少し無理すれば200くらいはいける、と思った。ただ難点はそれに見合うトイレの数が少ないことで、15分の休憩時間では特に女子トイレがさばききれず、休憩時間の延長を余儀なくされた。それやこれや考えると実用的には150人くらいが適切かもしれない。

私の編曲になる、ブラームスの4番の交響曲第4楽章の8手連弾がどのように響くか、も気になっていたが、細部までよく聞こえる点で、かえってこのくらいのアクースティクの方が望ましい。8手連弾、というのはとかく、物量作戦的にうるさくなる傾向があるからである。

前田豊子先生と私(2) [洗足学園]

昔のことは日々疎くなるので以下は自分のための忘備録。

先に洗足学園からドイツから帰国後に仕事のお話をいただいた、と書いたが、この話は突然なんの前触れもなく舞い込んだのではない。そもそもの話は私のドイツ留学中にまでさかのぼる。友人からの紹介で、前田豊子さんという方がドイツを視察にこられて、ミュンヘンのスタインウェイ代理店でピアノを買いたい、ということだが、ついてはピアノの選定と、ついでに通訳も頼む、ということだったと思う。いつだったかは定かではないが、商談の通訳も引き受けたくらいだから、ドイツ語にそう難渋しなくなってからのことであろう。

スタインウェイ代理店で始めてお目にかかったのが、前田豊子先生と御主人の森為可先生ご夫妻である。「私たちの短大で使うので、なんでもピアノでは世界最高級品といわれる、スタインウエイとやらを買いたい、どんなピアノがいいのかわからないから選定を頼みたい」との話。とりあえず授業で使われるのならB型がいいのではないでしょうか、という私のすすめで店頭にあった何台かの中から選定を済ませた。そのあとの雑談で、洗足学園短大音楽科、ということを始めて耳にし、「帰国されたら私どもの学校にぜひ力をかしてくださいね」とのことだったが、私も外交辞令くらいに軽く受け取って「よろしくお願いします」くらいの挨拶を交わしただけであった。

それから何年かして、先ほどの話につながるわけだが、私はそのことはもうほとんど忘れていたのである。が、前田先生はずっと覚えていてくださったらしい。そんないきさつで私はとりあえず洗足学園に奉職することになった。スタインウェイはその後も本格的な4年制大学設立に向けて何台も増備されたが、このB型スタインウェイにはそういう思いいれがあって、特別に扱われていた。今でもそれはきちんとした状態で学園に保管されているはずである。当時のスタインウェイは現在のように大量生産はされなかった時代のもので品質は一番いいものであった。それ以降、前田先生と御主人の森先生とお食事や飲み会になり、アルコールがまわると必ずこのミュンヘンのスタインウェイの話になるのが慣わしとなった。

お二方とも故人となられて20年の年月がたった。今の洗足学園の繁栄ぶりを見るにつけ、感慨とともに人の絆の有難さに思い至る。

フーガの技法(11) [洗足学園]

 主にブラスの学生相手のゼミなのだ。これにはほとほと困った。何しろ勝手が違う。が、今日はもう腹を決めた。フーガの技法、なかでも理解するのに一番難しい曲を一曲選んでみた。

 「今日は一番理解の難しい曲の話をします」。と最初に宣言したら、まもなく半分くらいの学生が居眠りをはじめた。まあこれは想定の範囲である。聴く気のあるものだけが聞けばいい、かまわず、すこしづつやさしいフーガの仕組みをピアノで弾きながら話を進めた。ついで、いよいよ難しい3重フーガの仕組みもすこしづつ、段落ごとに出来る限り素人にもわかるように心がけながら話していった。だんだん学生たち、興味を持ちだしたようである。

「一人で演奏するのは大変だが、4人で手分けすればそんなに演奏することはそれほど難しくないけれど、曲のほんとうの良さを理解するのには何ヶ月かかかるかもよ。私自身も今現在、苦労しながらこの上なく楽しんでいるのだから。苦労した人だけがこの曲の深さをほんとうに楽しむことができるようになる」。

 「では最後にもう一度一通り演奏して聴かせるから配布したスコアを目を皿のようにして注視しながら、全身で理解するようつとめなさい」。 弾き終えてみんなの表情をみたら、もう誰一人居眠りしているものはいなくて、バッハの音楽にうたれたようだった。難しいことを易しく説明するのは楽なことではない。


2010年ショパンイヤーと洗足学園 [洗足学園]

 2010年のショパン生誕200年に向けて、私もすこしづつ動き出している。私のいろいろなアイディアにいち早く反応を示してくれているのが洗足学園大学なのだ。2005年に、日本ショパン協会主催にピアノコンクールを開催したが、これはすべて洗足学園の協力なしにはなしえなかったこと。

 まだ詳細はなにも決まっていないけれど、少なくとも前回同様、日本ショパンコンクールを開催することには理事側の積極的な感触をえている。有り難いことである。コンクール以外にも2010年はいろいろ1年間のショパンイヤーに関するコンサートなどの企画にも積極的な姿勢が見えるので、私としては出来る限りのアイディアを出していって、少しでも良い方向に持っていければ、と願っている。それが大きな目で見て大学のためになるならこれ以上嬉しいことはない。ことによると例の私の編曲になるショパンの「4曲のオケ付きのピアノ曲」弦楽6重奏版、これも、札幌よりもっと完全な形で、洗足学園で初演が実現するかも知れない。

 洗足学園での私の立場は非常勤講師であるから、本来パートのおばさんと同じで、何の発言権もないはずなのだが、いまのところ、私のアイデアは可能な限り受け入れられそうな気配になってきている。それだけに責任も伴うけれど、案外非常勤、という立場の方がかえって自由にものがいえるからそれがが幸いしているのかも知れない。まだ乗り越えなければならないハードルもいくつかあるが、私の意見を全面的に信頼して後押しをしてくれている、という底流があるので、私も精一杯の努力をする価値が充分ある、と大変嬉しく思っている。パートのおばさん冥利に尽きる、というわけである。

 

冬の音楽祭(1) [洗足学園]

 ともあれ、ピアノ・アンサンブル・フェスティバルは終了した。みなよく頑張ったし、それなりの出来ではあったのだが、反省点もあった。ひとつは、クラヴィノヴァの扱いである。面白い楽器だし、ピアノと一緒にやる、というのもアイデアはいいのだが、まだこの楽器を学生も編曲を担当する方もうまく使い慣れていないのではないか、ということだ。何しろ急に搬入して満足に練習の時間もとれないのだから無理もないことはわかる。だがこれも回数を重ねてくれば、最初の物珍しさも終わり、音楽本体の中身が問われることになる。来年からはもうひと工夫もふた工夫も必要になるのではないか。洗足学園の将来のため、あえて辛口の批評を一言。


信時潔生誕120周年記念講演 [洗足学園]

 恒例の年2回のうちの、後期の講座です。ピアノを弾いている貴方は、日本人のピアノ作品をいくつ弾けますか。いくつ知っていますか。信時潔は山田耕筰と並ぶ日本作曲界の大先達です。山田耕筰も信時潔もピアノ曲はほとんど知られていませんが、その紹介も兼ねながら、日本の黎明期の作曲家の歴史をさぐってみよう、という試みです。

 彼らがはじめてヨーロッパ留学から得たもの、日本人としてのアイデンティティの狭間に悩みながらも敢然とそれに立ち向かう姿勢から、私たちも学ぶことは多いのです。信時潔に関していえば、その系列の音楽家たちが、意外と洗足学園大学が創設された頃の歴史とつながってきて、話をお聞き頂くと、思ったよりこれは身近なおじさんなのだ、と納得されることも多いと思います。

11月6日(火)18:00 洗足学園音楽大学 Bリハーサル室 入場無料

おかげさまで無事有意義な会を好評裡に終了しました。おいでいただいた方々、ご協力くださった皆さん有難うございました。

 


来年、私は洗足学園ではどうなっているか [洗足学園]

 何度もブログに書いたことだが、洗足学園と私は相性がいいらしい。楽しく仕事をやっている。が、すでに70才の定年を越えてしまった。気になるのは、大学時代同級生だった方々が既に学校を去られているのに、自分だけがいまだに残っている、という、なにか後ろめたさのような感情である。別に私がごり押しして大学に残してくれ、といったわけではないのだが、そろそろ自分で進退を考えないといけない、とは思っていた。学生、もしくは来年大学院に入ろうという学生から「先生は来年もいらっしゃるのでしょうか」と聞かれても「私には分かりません」と答えるしかない。それではどちらもこまるので、「私はどうしたらいいでしょうか」と大学側にお伺いを立てた。その結果、「もう定期的な授業はしないが、単発の仕事、とかんがえて随時大学の仕事に協力をする、という形であれば定年には抵触しないでしょう、そうすれば同僚の先生方に気兼ねをされなくてすむのではないですか。」というありがたい返事が返ってきた。

 そんなわけで、どういう形になるかは未定ですが、とりあえずは、まだしばらく、洗足学園のキャンパスをうろちょろすることになりそうです。


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