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無題 [分類不明]

 妻が最近席を譲られることが多くなってショックだ、といっている。私はといえば震災後、ガソリンが買えなくなって自分で車を運転することはめっきり減った。慣れれば、車などなくてもだいたいのことは何とかなるものだ。

 私は後期高齢者のこの年まで電車で席を譲られたことが数えるほどしかない。席を譲ってもらう、というのはけっこう心境複雑なものがある。さすがに最初譲られたときはいささかショックではあった。年寄りにもずいぶん個体差があって、よほど大変そうでない限り、立たせておく方が健康のためにはいいはずで、その方が思いやりがあるのではないか、とさえ思う。若くても気分が優れない人だってあろう。一律に老人には席を譲る、という意見には私はくみしない。

 ある友人がいった。「まあ君の顔を見たら譲る気にはならんだろうな」。この言葉はどのようにも解釈できそうだが、私は善意に受け取っている。むしろ私よりつらそうな人には席を譲ったことさえある。さすがに私の顔を見て恐縮した様子だったが「いや、もうじきに降りますから」と姿勢もしゃんとしてなるべく平気そうな顔をした。やせ我慢もときには悪くはないのだ。

聖骸布 [分類不明]

 きのうのTVで面白い番組を見た。聖骸布についてである。といってもピンとこないひともあろう。新約聖書に書かれている。十字架にかけられたイエスの遺骸をアリマタヤのヨゼフという人がもらい受け、麻の布にくるんで墓に納めたという、あのくだりである。その遺体をくるんだ布がイタリアのトリノにある聖マリア協会に聖なる遺物として存在し、信仰を集めている、というわけである。

 私は物見高いから、以前トリノを訪れたさい、真っ先にそこへ行った。それはいつでもみられるわけではないが、幸運にもそのとき開陳されていてみることが出来た。確かに長い布で人の形とおぼしき影が映っている。当然の事ながら長年にわたってその布の真偽の論争が続いていた。私はその種のいかがわしいものが大好きで、おみやげにミニチュアのそのコピーが売られている(いかにもイタリアらしい)のを買って帰り、私のピアノの部屋に額に入れて飾ってある。誰ひとりこの奇妙なものはいったい何ですか、とたずねる人はいない。

 ところがミラノから帰って数年後、あれは科学的に分析した結果ニセモノと判断された、というベタ記事が新聞に載った。私としてはさもありなん、と思っただけで依然として偽物のそのまた偽物は我が家の壁に掛かっている。昨日のTV番組では、イエスの(と思われる)後頭部に付着した血液を鑑定したらAB型だと云うことになり、このDNAをもとにイエスを復活させようと云うプロジェクトがある、という内容である。

 話としては面白いが、でもあの聖骸布は偽物という判定が下されたのじゃなかったの?


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