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CHOPIN EXPRESS [ショパンコンクール]

もうインターネットでご存じの方も多かろうが、ショパンコンクールの最終結果が明らかになった。

1 ユリアナ・アヴデーヴァ(ロシア)
2 ルーカス・ゲニューシャス(ロシア)
2 インゴル・ヴンダー(オーストリア)
3 ダニイル・トリフォノフ(ロシア)
4 エフゲニ・ボジャノフ(ブルガリア)
5 フランソワ・ヂュモン(フランス)
  ニコライ・ホジャイノフ(ロシア)
  ミロスラフ・クルティシェフ(ロシア)
  エレン・ティスマン(フランス)
  パヴェワ・ヴァカレシ(ポーランド)


私は本選を聞いていないから、本当のところはわからないがアヴデーヴァが優勝する、ということは第2.第3予選を聞いた限りでは予想になかったのでちょっと意外である。私の予想ではヴンダー・トリフォノフ・ゲニーシャスこのあたりの接戦になると見ていた。要するに今年は突出して全体のレベルが高く、このあたりの誰が優勝してもおかしくない、とは思っていた。

ところで日本勢である。日本人はこれまで優勝とまで行かなくてもだいたい何人かが入賞し、いい線来ていた。今年は一人も第3予選までのこれなかったのも予想外だが、本当に優秀な人たちが案外予備選で落ちてしまっているのではないか、とも思った。しかし予備選にあたった海老彰子さんにきいてみても今年はやはり不作だったそうである。基本的に日本人はよく弾けるのだが一般的に攻めの姿勢に欠ける。それと音の色彩に関して、パレットにたくさんの手持ちがない、これは長時間の演奏には決定的に不利になる。今後のおおきな課題であろう。


ポーランド報告(3) [ショパンコンクール]

 今回の第16回ショパン国際コンクールは世界から600人以上の応募があったと聞く。その中から書類選考、ワルシャワでの予備選、この二つのプレセレクションを通過したものが第1予選に参加でき、正式に参加者としてプログラムに載ることになる。エントリー数81名、第2次まで進んだのが40名、第3次まで進んだのが20名(珍しいことだが第3次で一人棄権者が出た)、ファイナル出場者は10名、という狭き門ではあるが、オリンピックと違うのは国籍やこれまでの実績の如何を問わず、誰にでも門は開かれている。

 とはいえ、実際にプログラムに名前が載るだけでも容易なことではない。日本人と西洋人との大きな気質の違いは、大ざっぱに云うと、日本人は「とりあえずあこがれのショパンコンクールに出場できれば」くらいの感じで、なにがなんでも賞を取るのだ、という意気込みに欠ける傾向がある。一方、ロシア人などははじめから入賞することに狙いを定め、予選だけ通過しても意味がない、と考える。この違いは大きい。今回は特にその彼我の差が決定的に目立ったと云える。

 だがピアノコンクールはオリンピックとは違う。優勝すればそれで生涯の目的を達した、というわけではなく、音楽家としてはそこがスタートラインとなるにすぎない。世に出るための特急券を手にした、というくらいであろう。普通列車に乗った人でも才能のある人はいずれ誰かが認め、音楽家として生涯の終わり近くになっても成功すれば若いときのコンクールの成績など誰も気にしなくなる。そうなって初めてほんもの音楽家と云えるようになるのだ。事実コンクールはほとんどいい成績を収められなかったけれど、優勝者以上に世間から尊敬を集めるようになった音楽家はいくらでもいる。

 多分日本人ほどショパンコンクールが好きな人種もまれである。これはなぜか?いろいろな場面で論議されるが誰にも理由はわからない。ドイツ系、オーストリア系、北欧系、イギリス系の人たちはさほどの関心を示さず、たくさんある国際コンクールの一つとしか見ていない。実は私もその一人なのだが、50年前の偶然の関わりからこうして一生ショパンと縁を持つことになったけれど、実を言えば私の生涯をかけてのライフワークはショパンだけに限った訳でもない。

センチメンタル・ジャーニー [ショパンコンクール]

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 当初計画時には全く意識しなかったのたが、妻を同伴したこの旅行、結果的にセンチメンタル・ジャーニー、つまり私の若い頃を思い出す旅になってしまった。もともと私は業績にも、失敗にもあまりこだわらない性格で、ショパンコンクール参加当時のほとんどのことがすでに忘却の彼方にあった。今回のコンクールを「観戦」しながらの妻の最初の感想が「よくまあ若かったとはいえ、こんなシビアな舞台に立とうと云う気になり、しかもそこそこの成績をあげられたものねえ」だった。そう、当時私は23歳、現在の妻とはまだ知り合ってはいないが彼女は当時19歳だったはずである。

 ちょうど50年前、1980年当時のまわりの状況から私がショパンコンクールに出場するはめに追い込まれたこと、自分から好きこのんで参加したわけではないことなどを妻に説明しているうちに少しづつ当時の記憶がよみがえってきた。確かにこのようにつぎつぎに出場する天才、奇才を見ていると自分の才能に照らしてみて、誰しもこれはとても無理だと怖じ気づくであろう。

 だが当時はそんなこと考える余裕すらなかった。「窮鼠猫を噛む」「火事場のバカぢから」という心境に近かった。私が出場した当時は12人が本選に進んで全員オーケストラとの共演にのぞみ、そのうち6人が入賞、残り6人が入選、ということになり、私は入賞を逸したものの、入選となって、それでも少なからぬ賞金と審査委員長であるルービンシュタインのサイン入りの賞状をルビンシュタイン自身の手から受け取ったのである。当時の悪条件下を考えるなら、これまでの自分の才能と努力の度合いに照らしても「そこそこ」どころか「窮鼠猫を噛んだ」結果の「予想外の上出来」としかいいようがない。

 そこで冒頭の写真である。渡航後、初めて投宿した高層ホテル「ワルシャワ」が再開発のため、取り壊されつつあった。あれから50年もたつのだからなあ、と何気なく通り過ぎようとしたが、妻の「これも撮っておいた方がいい」の助言で写真となって残った。

ポーランド報告(2) [ショパンコンクール]

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 ショパン生誕200周年、ということで、さぞ華やかな飾り付けがあるか、と会場のフィルハルモニアに近づいてみても普段と何ら変わったことはない。会場内部にしても普段通りか、それよりもむしろ地味なくらいである。ステージや会場内部にも花飾り一つ見当たらない。これがもし日本だったらどんなにケバい装飾が施されるかを想像してみると面白い。

 しかし、コンクール本体のレベルの高さは私の予想をはるかに超えていた。私は第2予選から第3予選まで聞いたので、すでに第2予選の時点では一定以上のレベルのピアニストしか残っていないのは確かだがそれにしてもここまでとは予想していなかった。

 今回の特徴の一つは審査員の数、とくに開催国のポーランド人の審査員が減ってジュネーブの国際コンクールの規約に定める、「国際コンクールの条件を満たすためには開催国の審査員の数が全体の30パーセントを超えてはならない」にほぼ合致し、ショパンコンクールも名実共に国際コンクールとなった訳である。この改革は第3次までの審査結果を見る限り成功であり、全体としてみるとほぼ妥当な結果だと云える。

 世界からあらゆる国の人があらゆるショパンを弾く訳だが、今回も私は国の名指しこそしないが、テクニックこそ抜群であるものの、ここまでショパンをゆがめて解釈するか、もしくはショパンなどどうでもよくてただただ自己顕示欲だけのためのピアノ、ショパンの書いたテンポもダイナミクスも、時には音符さえも無視して勝手放題に変えてしまい、聞いていて腹の立つ演奏は少なくなかった。以前なら入賞、もしくはいい線までいっていたのが今年は第2、第3の予選でことごとく落とされた。何しろ人よりも少しでも目立つのがいい、という最近の演奏の醜悪な傾向に一石を投じた意味は大きい。

 ファイナルに残ったピアニストはショパンをそれぞれ自由に解釈しているものの、基本的な線は決して踏み外さないぎりぎりのところでとどめた演奏だった、と総括できる。

ファイナリストの10名をプログラム順にここに列記する。
ユリアナ・アヴデーヴァ(ロシア)
エヴゲニー・ボザーノフ(ブルガリア)
フランソワ・デュモン(フランス)
ルーカス・ゲニュサス(リトワニア)
ニコライ・コジャイノフ(ロシア)
ミロスラフ・クルチシェフ(ロシア)
ダニイル・トリフォノフ(ロシア)
ヘレーネ・ティスマン(フランス)
パウェル・ワカレツィ(ポーランド)
インゴルフ・ヴンダー(オーストリア)

圧倒的に旧社会主義国家、とくにロシアが強い。エントリー数では一番数の多かった日本人は残念ながら3次予選までは誰も残れなかった。一時、ショパンコンクールはこれからはアジア勢の時代か?と云われたこともあったが、今回はそれに冷や水を浴びせた結果となった。が、冷静に見るならば先に述べた通り、審査員は公正、妥当な判断を下した、と私は見る。
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