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カノープ [ピアノ音楽]

唯一副科のピアノを教えている男の子がいる。もう4年生になるので、少し曲らしいものを、と思ってドビュッシーの前奏曲第二集のなかから「カノープ」を課題として与えた。これは弾くこと自体難しくないし、作曲を勉強するなら、これも一つの立派な作曲の手本になりうる、と考えたからである。

私は実際この子にはピアノはほとんど教えない。もっぱら彼が書いてきた作品をみてコメントするのだが、規定の時間の30分ははるかにオーバーし、一時間くらいに及ぶこともザラ。カノープは不思議な雰囲気を持つ曲で、たった33小節しかない小品。彼はだいぶん曲が書けるようにはなってきたが、まだ、曲の構造がよくわかっていないようだ。一般には「カノープ」はぼんやり弾いたり、聞いたりしていると、雰囲気はあるが何かつかみどころのない曲、というイメージが強い。これをソナタ形式でできている、というつもりはないし、ドビュッシーもそう言われれば怒るに決まっている。しかし、実に自由に、即興的に書かれていながら、やはりソナタ形式の基本構造が最小限に煮詰まった形で背景になっていると私はみている。もとより、ハイドンやベートーヴェンで言う意味でのソナタ形式とはちょっと違う。私のソナタ形式説に賛成しない人でも、ある種の統一的構成力が存在することは否定できまい。

即興的に書かれたようでも、ヨーロッパ人の書く作品には無意識のうちに構成力が働いている。作品はどう書いてもいいが、形式を無視して書いても、このような統一体としての構造物であるべき、ということを彼に説明をしたかったのだ。でも、これも私は「ピアノのレッスン」をしたつもりであって、作曲を教えたつもりはない。



ABSCHIEDKLAVIERABEND [ピアノ音楽]

勝手にそう私が名付けたのである。恒例のりべーろ・とまりむらのサロンコンサートも33回を迎え、私もあとひと月ちょっとで80歳を迎える。まだ五十何才の頃から、80までやってください,と言われていたけど,絵空事だと思っていた。がいつの間にかその年を迎えることになってしまった。やっとなんとか約束は果たせたとほっとした。33回毎年欠かさず続いたコンサートもここで一区切り、ということでショパン・ブラームス・グリークのプログラムのピアノリサイタルで「さようなら」を告げた。自分でもこのところ集中力がかなり落ちて来た、と正直思う。それにしても、毎年5000円もの会費を払い、当初からの会員がずっと続けて来てくださる方がほぼ半数以上を占め、毎回私が企画し、演奏するコンサートを楽しんでくださったのである。

この年になると、世の中のことがいろいろ見えて来て、毎回満席ではあるものの、切符を売ったり、とだいぶん無理がいっているのではないか、と心配になるものである。お金持ちのスポンサーがあるわけでもない。同じピアニストの演奏を33回とまで言わなくても、特別な天才でもない限り通常2,3回も聞けば、もういい、となるのが世の中の趨勢であることも知っている。毎年、このコンサートを聞かないと年が越せない、と言われてそれを励みに続けて来たが、そろそろ限界に近い、高額の入場料を払って来ていただくには正直、申し訳ない、という気持ちも働く。

本当のところはどうかわからないけど、主催者側は無理に切符を売ることなど全くない,自然にそうなって来たのだと言われつづけて毎年12月29日一度も欠かさずやって来た。何処かに無理が言っていれば33回は続くまい。自然体だからこそ33年も続いたのであろう。多くの優秀な音楽家仲間にも安いギャラで共演をお願いした。その方々のご協力あってこその賜物である。厚くお礼申し上げたい。こういう企画を続けられたのも長年培った人脈のおかげ。33年前といえばこういうサロン形式のコンサートはまだほとんどなく、それも地方都市でりべーろ・とまりむらのような集まりは多分草分け的な存在であろう。

まだ元気なのだからここで終わるのは淋しい、リサイタルとかでなくてもいいから何かの形でこの集まりを続けて欲しい、と言われる。しかし私もさすがに少し年を取りすぎた。もちろん90才でもまだコンサートを引退しないピアニストもなくはない。ただ、自分が衰えたことも自覚せず、この年でまだ弾くだけでもすごい、と同情されながら弾き続けるのは少なくとも私の美学には合わない。はた迷惑というものだ。何事も初めがあれば終わりがあるものである。

シューマンピアノ6重奏版 [ピアノ音楽]

シューマンのピアノ五重奏作品44にコントラバスを加えた6重奏の形のヴァージョンが昨日初めて初演された。読響のコントラバシスト、高山健児さんの依頼によるもので、現代のピアノに弦楽四重奏という組み合わせは、この曲が作曲された1842年当時のまだ金属フレームのない時代のピアノとの組み合わせではちょうどいいバランスだったと思われるが、頑丈な鋳物の金属フレームを持つ現代のコンサートグランドの音量と対抗するには弦楽器が少し物足りない、ということは私自身かねがね演奏する都度感じて来た。

これらの事情を考えず,シューマンの書いたスコアを金科玉条のごとく、ただその通りに弾き続けるだけが本当に伝統に忠実なものかどうか、誰も疑問に思わないのが不思議と言えば不思議。若い時は,自分の演奏がいたらないせい,と思い,なんとかしようと随分苦労もしたが,本来のバランスの悪さは克服できないで来た。高山さんも同じことを考えていたらしく、シューマンの音楽を損なわない範囲でコントラバスによる補強がうまくできないだろうか、という相談である。

私も少し自信がなかったのでとりあえず、第一楽章で試しにやって見て、その結果次第で先を続けるかどうかを決めよう、と考えた。試演の結果、意外とこれがピッタリとハマるのである。現代のピアノと弦楽器群が無理なくいいバランスを保つことができる。私は自信を得て、残りの全楽章を一気に書き上げた。その編曲初演が昨日だったのである。自分で言うのも変だが、こんなにいいバランスでこの曲が聞けることに我ながら全く驚いた次第。バシストの高山さんの喜びようが並ではないのをみて、私もとても嬉しかった。後で聞けば、高山さんもやはり編曲マニアであると知った。この、ひとくせも、ふたくせもある人物から、このコンバスパートの書法は全く非の打ち所がない、と言われて嬉しくないわけがない。

このパートはかなり技術的にも難しく書いたかな、と思ったが、彼はそれに挑戦して、彼はもうほとんど暗譜で弾ける、というところまでさらった、そこまでしても頑張る価値がある、といってくれた。
考えてみればモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は当然のごとく今ではコンバスで補強されて演奏される。おなじことがこの曲にも当てはまる、というのは独りよがりに過ぎるだろうか。ともあれ、これをみんなに知ってほしい、という高山さんの熱意でCDに録音することが決まった。いつになるかわからないが楽しみである。




平均律クラヴィア曲集 [ピアノ音楽]

私は楽曲分析マニアではない。だが必要な時だけ止むを得ずやる。ただ一旦やるとなると徹底してやるのである。中途半端な分析からは曲の本質はなにも見えてこない。昨日、ある学生が第一集の24番のフーガ、あまりにひどい楽譜の読み違いをやっていたので私も呆れた。普通の先生なら「もっと楽譜を正確に読みなさい」というだけでお手上げになる。この曲集で最も長大で複雑な曲だから学生が読み違えるのは、不注意もあるが、調性の変動と曲の骨組みが全くわかっていないからだ、と私は考えた。そこで丸一時間、私がピアノに座り、自分でピアノを弾きながら、必要な瞬間瞬間その都度ひく手を止めるから、その箇所の調性を答えるように、とやらせてみると案外学生はわかり、できるのである。

この作業をやりながら、私もきちんと把握し切れていないことに気がつき、帰宅してからこの曲の分析に没頭した。そうしてみると、この曲は半音階が多くて一見非常に複雑に見えるが、実は普通の他のフーガとそれほど大筋変わるところはなく、他の幾つかの類似のフーガと同じ、大きく3部に分けられる。この曲が特別複雑にみえる原因はテーマにある。一般にフーガのテーマは通常同一の調性内で作られるか、テーマそのものが属調に転調するように作られているか、の二種類がある。ところがこのテーマは属調に転調の途中に下属調に少し触れる。ここがこの曲をわかりにくくしている。もう一つの特徴は、この3小節のテーマの中に、12の半音がすべて含まれているために、ぼんやり聞いていると調性がないように見えることがある。ドデカフォニーの始まりである。調性は崩れつつあるのはなにもワーグナーやリストを待つまでもないのだ。

詳細の分析はここでやるつもりもないが、やるにつれてだんだん自分の頭が整理されてくるのは爽快なものである。ちなみに曲の中で使われる正規のテーマの数は14回。第一番ハ長調フーガのテーマの音符の数が14個。これは偶然の一致とは思えない。第一集を締めくくるにあたってバッハは自分の名前の象徴である14という数を意識したものであろう。

四日市音楽協会 [ピアノ音楽]

「四日市音楽協会」というのはもともと、終戦直後で何も面白いものがない頃、亡父が音楽好きな友人たちと語り合って運営した会で、年に何度か中央から著名な演奏家を招いての本格的なコンサートを聞くのが趣旨であった。当時地方都市ではナマの音楽を聴くことは滅多にできなかったので、結構よろこばれたようである。

今回の「四日市音楽協会50周年記念」の会はそれとなんらかの繋がりがあるのかどうか分からない。あったとしても50年前、といえば、私はもう社会人だったから年代的にも合わない。いずれにせよ、2年くらい前から、50周年記念事業として講演やピアノを聞かせて、という依頼があった。私が昔、作曲した四日市中央小学校の校歌も子供達が歌ってくれる、という一風かわったイベントである。

校歌はこれまでもいくつか作曲をしているが、この曲だけは良く記憶している。ヘ長調、8分の6拍子、というもので、アルペンホルン風な短い序奏がつく上、3番目の歌詞が長いので3番だけは別なメロディとピアノの後奏がつく、おまけに二重唱、という小学校校歌とは思えない凝ったもので私自身にも愛着がある。小学生には少し難しいからあまり歌われることもなかろう、と思っていたが、この日の演奏の出来はなかなかのもので、私はとても嬉しかった。「どういう経緯でこういうちょっとかわった校歌になったのですか?」という質問に対して「実はタネを明かすと、これはベートーヴェンの田園交響曲の終楽章のヘ長調、8分の6というアイデアをパクったのです。子供達が行進曲風な4拍子のありふれた校歌ではなく、こういうゆったりした曲に接することで 、形にはまらない、伸び伸びとした子供に育って欲しい、という願いを込めて作りました」。気がつけば、今日の会につかわれたチャイムもこのメロデイによっている。「著作権料を取りますよ」と私は冗談をいった。

思いもかけない旧知の方々も三重県ばかりではなく、遠方からも大勢来られて会場は満杯、終始暖かい雰囲気でオリンピックのメダルを獲得した選手の故郷入りもかくや、と思われるちょっとしたプチ凱旋将軍的気分を味わせてもらった。

日曜の午後のレッスン [ピアノ音楽]

時折私のところにレッスンに来るYさんが午後、リサイタルをするから、とその曲目の相談かたがた、私のレッスン室に現れた。いつも生真面目な顔で現れるのだが、今日は何かいたずらっぽい目つきで部屋に入ってきた。
「どうしたの?」
と聞いたら、こんな話を聞かせてくれた。

夏休みにドイツのフライブルクでSchnurr教授のセミナーがあったので、参加してレッスンもしてもらってきた、という。可笑しかったのはそのレッスンの内容だという。そういえば先月末,モーツアルトのKV284のソナタを私のところで聞かせてくれ、私はその曲についてあれこれ説明はしたが、Schnurr先生の説明の内容が、終楽章のどの変奏についても私が言ったのと全く同じ、まるで前から申し合わせてあったかのような説明だったそうなのだ。
「まあ同じ内容でもドイツ語で聞かされると有り難みが違うでしょ?」と私。

特に終楽章の第二変奏、このブツ切れの楽想をピアノでどう扱っていいかわからないようだったので、
「これは弦楽四重奏のスタイル。4人の奏者が同時に弾かないで、会話のように一人一人話し出し、時折ほかの人が相槌を打つような、モーツアルトが弦楽四重奏曲で特に好んでよく使う書法」と説明した記憶が蘇ってきた。私は特に変わったことを言ったつもりはなかったが、Schnurr先生は私より5,6年先輩だが、同じ説明だったようで「やはりドイツで教育を受けると誰でもこんな発想になるのだなあ」と私も一緒に笑ってしまった。もっとも当の彼女もドイツで何年も教育を受けたはずなのだが。。。。

伊勢神宮・奉納演奏写真集 [ピアノ音楽]

いささか旧聞になるが、伊勢神宮の能舞台の奉納演奏を行った,ピアニスト西井葉子さんからの写真集を掲載します。ピアノは拙ブログで一部お伝えした、ヴィンテージピアノであるニューヨークスタインウェイピアノを高木クラアヴィアさんが搬入。膨大な記録写真が私のところにメールで送られてきたが、これはほんの一部。グランドピアノの大屋根が外の樹々のグリーンを反射して誠に美しい。私もなんとか行きたかったのだが、日本ショパン協会の表参道のショパンフェスティバルのイベントなどが重なり、残念ながら見送らざるを得なかったので、せめて映像だけでも堪能させてもらった。
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伊勢神宮 内宮参集殿 奉納演奏 [ピアノ音楽]

ピアノリサイタルを聴く、というのは私にとってあまりに日常的なことなので、よほどのことがないとブログネタにはなりにくい。ただ、このコンサートは記録に残しておく意味はあろうと思った次第である。

コンサート、というには多少違和感がある。正式には上記の通り、伊勢神宮 内宮参集殿 奉納舞台での「奉納演奏」という。ピアニストは西井葉子さんという昔私のところで何年かピアノを勉強したことのある人である。この人の経歴はちょっと変わっている。音楽大学には入らず、確か慶応大学の仏文科卒、だったと思う。しかし文学には進まずクロアチアでピアノの勉強を続け、現在伊勢に在住し、先日東京でもコンサートを行ったのでききにいったが、とてもいいピアニストになったなあ、という思いを抱いた。

能舞台は神聖なものであるからピアノのコンサートなどには通常絶対使わない。だからこれはいってみればバイロイトの歌劇場で和太鼓の演奏をするようなものかもしれない。彼女はここへ100年経ったニューヨーク・スタインウエイ、それもカーネギーホールで歴代の大ピアニストが弾いたという楽器をすっかり修復したものを持ち込んで使用する、という凝りよう。どういう音がするのか本人も見当がつかない、という。さもあろう。伊勢神宮の能舞台は、私も佐渡で幾つか見たような屋外にある。そこから少し隔たったところで聴衆は聴く。本人もそういう条件のもとで弾くなら、曲はバッハのゴルトベルク変奏曲以外あり得ない、とこだわったそうである。

しかし実際現場を見て準備をする段階になると多分無理、ということで、ラフマニノフのソナタとか、英雄ポロネーズといった割に普通のプログラムに落ち着いた。彼女とのメールのやり取りで私もゴルトベルクでないのは残念だ、と伝えたが、熟慮の上、このアイデアはいずれまた、ということになりそうだ。メールで送られた写真を見ると文字通り静かな佇まいの簡素ではあるがすばらしい檜の舞台でここでピアノが弾けたらさぞかし本望であろう、という環境にある。

5月31 日 12:30 伊勢神宮内宮参集殿 予約、入場料は不要。実はこの前後のスケジュールが私は過密で、行けそうにない、と伝えたが、それでも私もこれを見逃すのはあまりに惜しく、なんとか予定をつけられないものか、と苦慮しているところである。

ホームカミングディ(3) [ピアノ音楽]

F.A.Boieldieu(1775-1834)ボイエルデュ、フランス人だから、ボアエルデュ、と発音するのが多分正しいだろうが、今ではごくたまに「バグダッドの大守」序曲がオケのプログラムに載るくらいでほとんど忘れられた作曲家である。この人の作品がピアノ連弾用の編曲で「白衣の婦人」(原題La Dame Blanche)の題名でこの日のプログラムの冒頭を飾っている。19世紀前半、パリを中心にヨーロッパでバカ売れしたオペラだったので、誰でもピアノで楽しめるよう連弾用に編曲した楽譜が出回っていたとしても不思議ではない。

フランスのモーツァルト、と言われただけあって口当たりのいいアリアがいっぱいあるが、そのいいとこ取りだけの編曲だから、ヨーロッパ中で人気があった楽譜が西洋音楽黎明期の日本に輸入されたものらしい。今の人たちはほとんど知らない作曲家だが、私が子供の頃、家にあったピアノ独奏用に編曲された通俗人気曲集の中に、「天国と地獄」「詩人と農夫」「ドナウ川のさざなみ」などに混じってボアエルデュの作品が幾つかあったので、好んで弾き散らかしていたから、私にとっては幼なじみの懐かしい作曲家といえる。その意味でも私にとってもやはりホームカミングであったわけである。

ホームカミングデイの出演者は芸大在校生や卒業生でその後も芸大に縁の深かった人たち、という人選で行われたらしく、私に演奏依頼が舞い込んだのが、昨年12月に入ってからである。出演者としては多分最長老、ということになろう。相手は私に任せる、ということなので、長年ピアノ科の助手を務めたFさんにプリモを依頼し、なんと言っても曲が「白衣の婦人」だから、純白のドレスを着てもらっての出演となった。私としては久しぶりの芸大奏楽堂のステージなので感慨もひとしおであった。

とまり村のコンサート [ピアノ音楽]

毎年かならず12月28日、と決めて続けてきた私の出身地四日市で続けてきたコンサート、主催者から当初「80歳まで続けてください」と言われていたけれど、自分では「とても無理」と思い、事実、公的なコンサートはすでに引退を宣言したが、これだけは主催者の熱意で30年以上、今も続いている。

はじめは「なにをやってもらってもいい実験工房」と言われて、その都度思いついたことを脈絡なく気軽に続けてきたのが長年続いた原因かもしれない。毎回コンサートに来てくださる方々からも「これがないと年が越せない」と言われるのも励みになっている。ソロであったり、身近な音楽家にゲストにも来てもらって、あらゆる分野の楽器も出尽くした感がある。そこでここ10年くらいはこれまで培った人脈を生かし、とてもお願いできるギャラではないけど、と無理を言って共演してもらうおかげで、第一級の人たち(と私が認める)で固めてこられたから、今度はもう質を落とせなくなった。

質がよくなければ多分ここまで続けられていなかったであろう。地方都市の小さなコンサートであるが、聴きに来てくださる方の音楽的教養はもう半端ではないから、始めたばかりの頃のようないい加減なものは出せない。今年を含めてあと2回で目標は達成できることになる。マラソンもゴール目前である。

聴衆の常連のお一人、K先生は私の中学の国語の先生で、今もご高齢にもかかわらず外国を駆け回って写真を撮り続けていられる方である。昔の国語の先生の前での演奏はともかく、下手なトークはまことにやりづらい。「もう私も年だから今年は失礼します」と一昨年の年賀状にもあったが、暮のコンサートにもいらしていただけたのは嬉しい限りであった。
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